誰かの無関心が、誰かの生きづらさ

“フェミニスト””フェミニズム”という言葉も最近はメディアやSNSで聞くことも多くなってきたかなと思います。
つまりは女性解放思想。女性軽視、性差別をなくして、性差別による不当な扱いや不利益をどうにかしようぜという感じ。

フェミニストといえば女性というイメージがありますよね。でもそんな決まりはないんですよね。誰でも良き!女性からしたら、男性のフェミニストがいたら、めちゃくちゃかっこいいと思います。

でもいまだにフェミニズムや男女格差を語る男性が少ない、というかほぼいないのは、やっぱり男性は、男女格差を他人事だと思ってるから?
それともただ無関心?
それとも女性に負けたくない?(勝ち負けじゃないのに。)
それとも図星だから、何も言えない?

少し余談ですが、最近電車やバスの運転手さんで女性が増えたなーと感じます。ひと昔前はほぼ男性だけでしたよね。これは個人的にすごくうれしくて、心の中で、Lets go girrrrl!!とめちゃめちゃ応援してます。あとはスポーツの審判なども女性がどんどん増えてほしいです。

話、戻りまる。
この本の中でなるほどなーとおもったことがありました。

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女性は今まで「特殊」な存在として「一般」の外側に置かれてきた。たとえば心理学の中には、「女性心理学」「児童心理学」「老人心理学」などの領域があったが、「成人男性心理学」というものは存在しなかった。

それは心理学において、成人男性が人間の代表であり、「一般」だとみなされてきたからである。

・・・

一般的な心理学研究の実験の被験者だったのは、主として、欧米の中流以上の白人の男性の大学生だったということである。心理学の理論は、そういう特別な条件を満たした人たちを被験者として、そこから得られたデータをもとに確立されてきたものである。そして、それこそが人間「一般」の法則であるかのように流布されてきたのである。

「特殊」でありながら「一般」であるのが男性で、「一般」でありながら「特殊」であるのが女性という位置づけである。

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なるほどtheワールドすぎました。
たしかに女性、LGBTQ、子供、老人、を研究テーマとしてとりあげられることはあるけど、一般男性を研究するなんて聞いたことないですね。

これが逆に、現代の男性の生きづらさを生み出しているのかもしれないなぁ、とも思いました。「一般」という責任と重圧がふりかかりそうです。

生きづらさを生み出しているのは、本人の責任だけじゃないなぁと、とても思います。

障がい者への障がいを作り出しているのは、”健常者”であって、女性への男女格差を生み出しているのは”一般男性”なんですよね。また同性婚を認めていないのは、異性愛者のおじさんおばさん達。

関係ないと思っている人たちの無関心が、知らないところで生きづらさを生み出しているのかもしれません。


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