養老孟司さんの”ものがわかるということ”という本を読みおわって、noteを書きたくなったのでスタバでそのまま書き書きしてます!(あーやっぱ養老孟司さん好きだぁん。)
この本を読み終わって、すごく安心している自分がいます。それはなんとなく腑に落ちてなかったことが、私が共鳴できる形で言葉になっていたから。
いろんな本やいろんな人の考えに触れていくと、理屈、理由、目的、という”なぜ”の部分が大事で、まずそこからスタートするんだという考えが多いように感じます。(それはそれでもちろん大事。)
そうなのかと思い、私も私なりに理由とか目的を探したりしたんですが、見つからないことが多いんですよね。本当に見つからない。
だからむりやり作り出したりしてたんですが、むりやり作り出したものなので、私にとっては嘘。
”都会”や”自立している大人”に馴染むためにそれっぽい嘘を並べてるみたいで、それがとても苦しかった。
でもこの本を読んで、私は私の感覚で生きていいんだって言われたような気がしました。
理由や理屈、目的がない、感覚を大事にする私。
なぜそれをやるのかと聞かれれば、だってやってみたいから。
なぜそれが好きなのかと聞かれれば、だって好きだから。
それをやってどうするのかと聞かれれば、やってみなきゃわかんなくない?
やってみて好きならやればいいし、嫌なら変えればいい。
これが私の大部分。
これを言うと、子供っぽいとか、それだけじゃ生きてけないんだぞって世間の厳しさを教えられそうですが、世間の厳しさはまぁまぁ経験している方なので大丈夫です。笑
嘘の言葉を並べるより、自分のそのままの言葉なのでずっと心地良くて生きやすいです。
私は新潟で生まれて、海と山と田んぼに囲まれて子ども時代は育ちました。木登りしたり海もぐったり雪でかまくら作ったり田んぼ手伝ったり。ザリガニとかカエルとか捕まえてたな。
養老孟司さんの言葉を借りると、自然と共鳴して育ってきたのかな。
今日も暑いなーとか、星がきれいだなーとか、風が気持ちいいなーとか、感じていたい。
この私の”感覚”を大事にしていこうと改めて思えました。
ずっと背伸びしてると疲れるからね、そろそろ踵を下ろして、足の裏ぜんぶで地球を感じましょうか。
好きな文章をいくつか紹介します。
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手入れは毎日しないと意味がありません。毎日手入れをするには何が必要か。現代人が嫌う「努力、辛抱、根性」です。
自然とつきあっていくには、地道な努力に加えて、予測ができないことを我慢する忍耐が求められます。わからないことを空白のままにし、何割ぐらいかがわかれば、まぁこんなところだろうと思って、とりあえずつきあう。そういう辛抱が必要なのです。
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子どもの頃、よくバケツいっぱいにカニを捕って遊んでいました。「お前それをどうするの」と言われても、別にどうするわけでもない。捕ったらあとは放すしかありません。子どもはそういう目的のない行為が大好きです。生きているとは、そういうことです。
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自然がわかる。生物がわかる。その「わかる」の根本は、共鳴だと私は思います。人間同士もそうでしょう。なんだか共鳴する。「どこが好きなんですか」と聞かれても、よくわからない。理屈で人と仲良くなることはできません。
📚養老孟司「ものがわかるということ」
ありがとうございました。