ちょっと変なことを言うんですが、私って「痩せなきゃ」と思って運動を始めたことが一度もないんです。
他の人の会話やSNSを見ていると、「夏までに5キロ落としたい」とか「最近食べすぎたから運動しなきゃ」ってよく聞きます。
まるで痩せることが義務のような。
そんな会話を私は他人事みたいに聞いていました。
ある日ふと気づいたんですよね。
「痩せなきゃ」を持たないまま運動してきた私、ずっと運動を楽しんでたな、って。
「痩せるため」の運動って、なんでこんなにしんどいんだろう
「痩せなきゃ」って動機、一見すごく明確でわかりやすい。目標がはっきりしてるし、やる気にもなる気がする。でも実際のところ、この気持ちってじわじわと消耗していくんじゃないかなって思います。
だって「痩せなきゃ」って、“今の自分はまだダメ”っていう気持ちからスタートしてる。
運動するたびに「まだ足りないかな」「今日もそんなに頑張れなかったな」ってなる。
体重計の数字が動かない日が続いたら、なんか頑張った意味がないみたいに感じちゃったり。
気づいたら運動が、義務とか罰みたいになっていく。
しかも、もし目標体重に達したとして。そのあと運動を続ける理由って、どこにあるんだろうって思いませんか?
なんで私は運動を14年間続けてこられたんだろう
自分でもちょっと不思議だったから、なんでだろうってゆっくり振り返ってみたんです。
たぶんだけど、私にとって運動って最初から「気持ちよくなるためのもの」だったんだと思う。走り終わったあとのすっきり感とか、筋トレのあとにじわっとくる「やった〜」って感じとか、ストレッチして身体がほぐれていく瞬間とか。
そういう”今日この瞬間の気持ちよさ”が、また動きたいなって気持ちにつながってた。
体重や見た目の変化って、なんかあとからついてくるおまけみたいな感じ。それよりも「今日も自分のために動けたな」ってじんわりした感覚の方が、ずっとリアルな達成感だったんですよね。
痩せたいって思うこと、それ自体は全然おかしくない
ここで誤解してほしくないんだけど、「痩せることを目指してはダメ」って言いたいわけじゃない。体型を変えたいって気持ちは、ぜんぜんおかしくないと思います。
ただ、「痩せなきゃ」って義務感と「自分の身体を整えたい、大切にしたい」って気持ち、似てるようで全然違う。
前者って”今の自分はまだ足りない”から始まってるけど、後者は”今の自分をもっとよくしてあげたい”から始まってる。
そのスタート地点のちょっとした違いが、続けられるかどうかに、じわじわ効いてくるんじゃないかな。
自分を罰するために、動かなくていい
「食べすぎたから明日は走らなきゃ」「今週サボったから週末でまとめて取り返そう」——なんかそういう言葉、自分にかけてしまうことってないですか?
運動って、昨日の自分をチャラにするためのものじゃないよなって私は思います。
今日の自分がちょっと気持ちよくなるためのもの。5分の散歩でも、朝の背伸び一回でも、「今日も自分のために動いた」っていう事実は変わらないから。
「痩せなきゃ」をやめることって、諦めることじゃないと思うんです。
もっと長く、もっと楽しく、自分の身体と仲良くしていくための、ちょっとした方向転換。
最後まで読んでくれてありがとうございます。
「痩せなきゃ」に疲れてる誰かに、この文章がそっと届いたら嬉しいです。